NEWSお知らせ

SYUTO Press
2014.01.30

SYUTO Press Vol.09 プラモデルの昔と今

弊社の創業者でもある柴田幹雄(現会長)は、1958年(昭和33年)国産初のプラモデルであるマルサン商店「原子力潜水艦ノーチラス号」のプラモデル金型を製作いたしました。

 何もかもが手探り状態で、ドイツ製の立体彫刻機「パンタグラフミラー」を試行錯誤でした。こちらのエピソードは「SMALL SHIBATAブランドのこだわり」をぜひともご覧ください。また、書籍「日本プラモデル50年史(日本プラモデル工業協同組合編)」にも紹介されています。

 さて、最近アニメやソーシャルゲームの影響で再び人気が出ているミリタリー系プラモデルですが、弊社でも創業した1978年(昭和53年)当初より製作していました。

製作したミリタリー系プラモデル

創業したころは、戦闘機、戦艦、戦車などのミリタリー系やスーパーカーなどのプラモデルが主流でした。この流れは1970年代~1980年代まで続いたかと思います。その後、モデルガンのブームもあり、弊社でも一部手がけておりました。

この当時はCADやマシニング加工はまだ普及していませんでしたが、それでも精度の高い金型は製作できました。どうやって作っていたか、想像できますか?

まず、ドラフター(大きな定規とセットの製図台)で設計図を紙に作成します。次に、その図面から金型職人が、どういう手順で製作すればよいかセンスと経験によって1つ1つ設計方法を考えます。

また、図面をもとに、その製品そのものの形をした「木型」を作ります。その木型を模して鉄で「マスター」と呼ばれるその製品そのものの形を作りますが、この「マスター」の形状がプラモデルそのものの形になりますので、この製作にわこだわり抜きます。「この鉄の模型「マスター」から型を製作します。型はメス側から製作し、次にオス側を作ります。成形時に金型をぴったりと一致させるのがまさに職人技術の腕の見せどころでした。

1990年代終わりごろから次第にCADでの製作に切り替わり始め、CADのデータをマシニングセンタで製作し金型を製作するようになりました。

今では、機械での製作が多くなったとはいえ、マシニングセンタで製作したプラモデル金型は精度が完全ではないため、弊社で昔から培ってきた職人技術により、100分の1ミリ単位で削り最終調整します。こちらの調整については、「SYUTO Press Vol.05(100分の1ミリを削る町工場の技)」をご覧ください。

時代とともに機械化が進み、製造過程も大きく変わりました。ただ、変わらないのは最終的に職人が調整することで完成するという点です。

言うならばプラモデルの命を吹き込むのは、人の手であると考えています。半世紀以上、日本のプラモデルの歴史とともに弊社は歩み、技術の蓄積をしてきたと自負しています。若手社員を育成することで引き継ぎ、さらに発展させ、お客様がもっとプラモデルを通じて喜んでいただくことが弊社の願いです。